イランでは、ヒジャブの着用をめぐって世界各地で抗議デモが行われています。
ヒジャブとは、イスラム教徒の女性が頭髪を隠すために身に着ける布のことです。
ヒジャブ着用を義務づける法律に違反したとして、9月13日に22歳のマフサ・アミニさんがイランの首都・テヘランで道徳警察によって逮捕・拘束され、亡くなりました。
イランは宗教的観点から服装の規定が厳しく、ヒジャブの着用が義務化されています。それに対し、身の危険をおかしてまでも反発の声を上げる人たちが続出しているのです。
服装が原因で逮捕されるなんて、日本では考えられませんよね。
そこで今回はヒジャブについて調べてみました。なぜイスラム教徒の女性はヒジャブを着用するのかをわかりやすく解説していきます。
イスラム教は服装と内面は密接な関係にあるという考えで、それが無宗教の私にとっては新鮮でとても興味深かったのでシェアします。
イスラム教は世界で2番目に信者が多い宗教で、現在もムスリム人口は増加しています。イスラム教徒=過激派という認識が広まっていますが、それは誤解です。
イスラム教徒の人口は現在世界で2位ですが、今後世界で1位になるという試算があり、日本でもムスリムと接する機会は増えてくるでしょう。そこで共生する社会を目指すためにも、まずはイスラム文化を理解する必要があると思います。
もし間違った箇所がありましたらご教授ください。
服装規定が厳しいイラン
イスラム教には服装の規定があります。イランはイスラム教を国教としていて、政治もそれに則ったものであるため、服装は道徳警察が厳格に管理しています。旅行客もそのルールに従わなくてはなりません。
服装の規定は女性だけでなく、男性に対しても存在します。男女ともに肌を見せることは好ましくないとされていて、半袖や半ズボンでいると罵声を浴びせかけられます。
服装規定については、イスラム教徒が多い国であってもルールがないところもあり、まちまちですが、イスラム原理主義国であるイランの場合は厳しく管理しています。
イスラム教の特徴
イスラム教は「六信五行」を生活の基本となる考え方と行動として定めています。六信五行の内容は省略しますが、存在を信じて崇拝するだけでなく具体的な行動によって信仰を示すのが特徴的です。そのため、特にイランでは政治と宗教が非常に密接な関係にあります。
イスラム教の服装に対する考え方
イスラムの伝承によると、衣服は人間の信条を表すシンボルとしているようです。
(以下、イランのニュースサイト日本語版を参照:イスラム教での衣服の特徴 – Pars Today)
イスラムは、衣服の形、色、質にも注目しており、私たちが人間の衣服の重要性を悟り、人間が服を身につけることによって、自分の信条や文化的な特徴を示すことを知ることができるように指導をしています。
コーランの節や伝承からも分かるように、イスラム教は、衣服やその特徴を特に重視していました。とはいえ、イスラムでは、敬虔さという内面の衣服が、表面的な衣服よりも重視されていました。イスラムでは、表面的な服装は、内面の美しさと成長を実現するための手段であるべきであり、イスラム教徒の服装は、その実現の基準に矛盾するものであってはならないとされています。
内面の敬虔深さを実現させるための手段として、表面的な衣服に気を配るのだそう。この視点は、私にとって新鮮でした。
それではなぜヒジャブを頭に巻くのか。もう少し堀り下げてみましょう。
「美しいものは見せないように」
女性の貞淑さはキリスト教でも求められるけれど、イスラム教の場合は具体的な行動とともに示唆されます。
信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表われるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。自分の夫または父の外は、かの女の美(や飾り)を表わしてはならない。
コーラン24章31節
美しいものは見せないようにというのが聖典『コーラン』の教えです。しかし、表現が抽象的で何を美しいものとするのかは地域によって様々なので、ヒジャブの巻き方は地域によって違います。
イランでは髪を美しいものとしているようで、女性は髪をヒジャブで隠すことが義務とされています。綺麗に包装された宝石は大事にされるように、美しいものは隠すことで価値が生まれるみたいです。
さて、教義の説明はこれくらいにして、今度は実際のイスラム教徒がどう感じているのか、着用する人としない人の意見を見ていきます。
ヒジャブを着用する理由、着用しない理由
イランの調査ではありませんが、ドイツ連邦移民難民局(BAMF)がイスラム教徒の調査を行っているので引用します。ドイツは過去の歴史の反省から、大量の移民を受け入れているのです。
ドイツへ移住してきたイスラム教徒に対する調査で、ヒジャブに関するものがありました。
同じイスラム教徒でも、いろいろな地域から来たさまざまな宗派の人が集まった移民の調査なので、イラン国内と状況が違うという点はご承知おきください。
ヒジャブを着用する人
ヒジャブを着用するのは、やはり宗教的要因が大半なようです。宗派によってさまざまなので一概には言えませんが、信仰の篤さ度合いと着用率が比例しています。
そして、特筆すべきなのが自らの意思で着用する人がほとんどであるということ。「知人からの期待」「家族・パートナーからの期待」などは割合が小さく、他人の意思が理由で着用するという人は非常に少ないことがわかります。
反対に、着用しない人たちはどうなのでしょうか。熱心な信者でも32.8%の人たちが「着用しない」と回答しています。
ヒジャブを着用しない人
76.6%が「信仰を貫くのに必要がないため」と回答しています。
たしかにイスラム教には好ましいとされる服装がありイランでは着用が義務付けられていますが、聖典『コーラン』の2章256節には「宗教には強制があってはならない。」との記述もあります。
それに、本来の目的である神への信仰よりもヒジャブを着用することが目的となっては本末転倒です。だから、すでに内面に篤い信仰心を持っている人であれば必要ないと考える人もいるのでしょう。
あとは単純に「付けたくないから」という意見もありました。
手段を目的にしない
ヒジャブの着用問題は、風紀を乱さぬようにするために服装を制限するという点で日本における学校の校則と非常に似ています。
校則では一般的に、髪色を明るくしたり化粧をしたりスカート丈を短くしたりするのが禁止されていますよね。
人の見た目は内面との関係性を表すものなので、服装で風紀を正すのは理にかなっていると思います。綺麗なゴミ箱よりも、汚いゴミ箱だと扱いがぞんざいになるのと同じです。見た目で気持ちも変わりますよね。
でも、行き過ぎた校則には意味がありません。地毛が明るい学生に暗く染めろと指示したり、眉毛の産毛を剃ったら別室登校させられたり。ヒジャブを着用しなかったら逮捕するというのも。
本来は、服装を制限するのは風紀を乱さないための手段でしたよね。手段が目的となっては本末転倒です。「女性、命、自由」をスローガンに抗議活動が行われているイランでは、男性が優位に立つ手段としてヒジャブを利用しているように見えます。信仰のために行動を重視するイスラム教であったとしても、本来服装の規定は誰かを罰するために存在するものではないはずです。
まとめ
絶対的とはいわないまでも外見と内面には深い関係があることを知り、とても興味深かったです。「襟を正す」という言葉もありますよね。自分の内面を変えるために服を着るのは有効な手段だと思いました。
自分を変えたいと思ったら、服装を変えてみるのもいいかもしれません。服を選んで着るのは些細なことですが毎日やるのことなので、変われば大きな影響が出るかもしれません。
仕事に着ていく服装、資格勉強をするときの服装選びなどスタイリストの私にお任せください。家であっても服を着替えることで気分の切り替えが出来るようになるかもしれません。意識や根性論だけでは限界がありますもんね。
もちろんプライベートの服装も。洋服で生活のモチベーションが上がって、積極的に外に出るようになったり新しく何かを始めたくなるかもしれません。カウンセリングでよく聞き取りをした上で、どんな服が似合うかも考慮しながらコーディネートをご提案します。詳しくはサービスメニューをご確認ください。